パリのシャンゼリゼ宮殿の内部を案内するテレビ番組を見ました。大きなドアが開かれると、見事なシャンデリアと絵画の大広間が現れました。
ドアが開かれるとは、意味深い象徴であります。それは、人生の新しい局面が現れ出るということ、あるいは私たちが新しい経験へと導かれるということ、新しい出会いの時、を象徴するでありましょう。
大学の門が諸君の前に開かれました。次は、諸君が第二の門を開く番です。学問・思想など探求の門、友人・社会などとの交流の門を、諸君自身の手で開くのです。
門を開けるには、手がかりやきっかけが必要です。ドアを開けるのに手をかけるドア・ノブが必要であるように、です。
いま、諸君の学生生活が意味深いものとなるために、その大広間へと開くドアのノブは、ゼミやクラブや学生委員会の諸活動です。新学年にあたり、ぜひこれらのドア・ノブに手をかけてみて下さい。
キリスト教センターは、聖歌隊・ハンドベルクワイア・フィルハーモニー管弦楽団・それからクリスチャンフェローシップ・ボランティアアソシエーション・特別委員会連合などの学生活動を側面から助けるところです。信頼と友情と奉仕が始まるドア・ノブです。たずねて来て下さい。
私たちが日々守る礼拝の場、チャペルの天蓋は、上から光が入るようになっております。礼拝を守るたびに私は感じます。私たちの人生はけっして閉じられていないと。このチャペルの天蓋のように、上より光が閉塞の壁を破って突破してくださるのだと。
「主を仰ぎ見て、光を得よ」という旧約聖書の言葉があります(詩篇33篇5節)。私たちは現実の厚い壁の中で苦しむことが多くあります。そして狭い所に閉じ込められていると感ずることもあります。人間の頭でいくら考えても知恵が浮かばず、どうして良いか途方に暮れることもあるでしょう。しかし見えざる神は、閉塞された私たちを必ず救ってくださいます。神は私たちの心を御言葉(聖書の言葉)という光で照らし、上から突破してくださいます。それは礼拝で体験することです。私自身、苦しみ、困っている時に、本学の礼拝に出ていて御言葉に接し、思いもよらない知恵が与えられたり、ハッとするような発見の体験をさせられたりしてきました。いくたびも。突破口は上より来たる光によるのです。皆さんも全学礼拝に出てみてください。しばらく出席しているうちに、やがて上から光が私たちの心にさしこんできて、目が開かれ、広大な世界に導かれる体験が与えられます。旧約聖書は申します。「われらは火の中、水の中を通った。しかしあなたはわれらを広い所に導き出された」と(詩篇66篇12節)。